「いらっしゃいませっち」かわっちは、寄ってきたサラリーマン二人組に言いました。
「本当に殴っていいの?」
「もちろんっち」
「じゃあ、一発いい?」そう言って背の高いほうのサラリーマンが、かわっちに1,000円を渡しました。
「ありがとうございますっち」
「思いっきりいっていいの?」
「も、もちろんっち」
「俺、強いよ」
「だ、大丈夫っち。おれっち不死身っちから」
「じゃ」
 サラリーマンは拳を軽く握り、パンチを出す真似を何回かしてタイミングをはかった後、大きな右ストレートをかわっちに叩き込みました。

 ガッ

12殴られる


 サラリーマンのパンチはかわっちにメリ込み、さらにそのまま振り抜かれた拳の勢いでかわっちはふっとび、2回後ろに転がって止まりました。

「き、気持ちいい…」サラリーマンがパンチを振り抜いた姿勢のまま震えています。

 かわっちも倒れたまま震えています。
 しかし、かわっちはすぐに立ち上がりサラリーマンまで歩いて行きました。
「まいどありっち」
「え? 効いてないの?」
「おれっち不死身っちから」
「もう一回やっていい?」
「もちろんっち」

 ガッ

「まいどありっち」

 ガッ

「まいどありっち」

 何度殴られてもかわっちは立ち上がります。
 五発殴ったところで男は息を切らしました。

「ありがとう。たまってたストレスが吹き飛んだよ」
「こっちこそ。ご利用ありがとうございますっち」
 かわっちは笑顔で言います。
「でも、あれだけ殴られて体本当に大丈夫なの?」
「もちろんっち。モンスターにはあのくらい何でもないっち」そう言いながら、本当はかわっちの顔や体はアザまみれです。
「そっちのお兄さんはどうっち? スッキリするっちよ」
「お前もやれよ」
「ええ? じゃあ、やってみようかな」
 もう一人の男はかわっちを三発殴りました。

「一発だけのつもりだったけど、三発もやっちゃった。たしかにこれサイコーだわ。かわっちのおかげで明日からも頑張れそうな気がするよ」
「ありがとうござますっち」
 かわっちは深々とお辞儀をして二人のサラリーマンを見送りました。

 いつの間にかかわっちの周りに人だかりができています。

「一発1,000円っち。ストレス解消に、明日の活力に、殴られ屋かわっちを殴ってみませんかっち?」

「じゃあ、かわっち、一発」
「おれも一発」
「楽しそうだな。おれも」

 終電まで2時間弱。かわっちの開いた殴られ屋は意外な繁盛を見せたのでした。



 ボゴオ

「まいどありっち」
「ありがとう。かわっち」

 ゴフッ

「まいどありっち」
「サンキュー! かわっち」

 ドゴオ

「まいどありっち」
「明日も頑張るよ。かわっち」


 それからかわっちは何発も何発も殴られ続けました。
 そして、0時56分。川口駅発京浜東北線の最終電車が行き過ぎると、広場から人がいなくなりました。

 電車の出発する音を聞きながらかわっちは膝をつきました。
 そして、そのまま地面に倒れふし、血を吐きました。
「さ、さすがにきつかったっち。ケホケホ」

 11時から約2時間。かわっちは合計199回、途切れることなく殴られ続けたのでした。


「かわっち…」
 地面に伸びているかわっちに静かに近づいてきたのは西川口でした。
「お前、こんなところで何をやってるんだ」
「お金を稼がないといけないから、殴られ屋をはじめたっちよ」
「そうか…。でも、もうやめとけ。いくらお前がバケモノでも死んじまうぞ」
「なに…。こんなの軽いっちよ。おれっち不死身っちから。ゲホオ」かわっちは血を吐きました。
「ほら。こんなになるまで。一体いくら稼いだんだ?」
 西川口はかわっちの稼いだ金を数えました。
「19万9,000円…。お前、こんなに…」
「なんだ。まだそれだけっちか。あと倍以上は稼がないといけないっちね」
「本当にやめとけ! 自分がどうなってもいいのか!」
「さ、休憩終わりっち」かわっちは震える足で立ち上がりました。そして叫びました。
「ストレス解消に、明日の活力に、殴られ屋かわっちを殴ってみませんかっち?」
「もうやめろ」
「ストレス解消に、明日の活力に…」
「もうやめろって」
 そのとき、真面目そうな若い男がやってきました。
「殴られ屋ってここですか?」
「あ、お客さんっち? おれっちが殴られ屋っち。やってみるっち」
「あ、ぜひ。お願いします」

「部長の…」男は振りかぶりました。その拳はオーラで少し光っています。
「バカヤロー」男は今日一のダイナマイトパンチをかわっちに叩き込みました。

 かわっちは転がりながら15メートル吹っ飛びました。

「だ、大丈夫ですか?」男がかわっちに駆け寄りました。
「だ、大丈夫っちけど。すごい力っちね…ゲホオ…」男はかわっちに肩を貸して立たせました。
「すいません。世界を救うために子供のころから修行してたんです。でも、こんな平和な世の中じゃこの力を生かすこともできなくて、普通に働くしかなくて」
「ストレス溜まってたっちね」
「ええ。おかげでスッキリしました。明日からまた頑張れそうです」
「それは何よりっち」
「じゃあ、本当にありがとうございました」男はかわっちに1,000円を渡して去って行きました。

 かわっちは地面に腰をおろし、そのまま寝転がって夜空を見上げました。
 西川口もかわっちの隣に腰掛けました。
「いくらあの子のためとはいえ、なんでここまで…」
 かわっちはしばらく空を見上げていました。
「西川口さんと同じっち」
「え?」
「西川口さんは、何のトクもないのにおれっちに声をかけてくれたっち。ナンパの仕方を教えてくれたっち。デートに協力してくれたっち」
「いや…」
「おれっちだって、誰かのために何かをしてみたいっち」
「かわっち…」
 西川口は顔を背けました。
「違うんだよ」
「何が違うっち」
「これを見てくれ」
西川口はサングラスを外しました。
街明かりに照らされた西川口の目は数字の3を二つ並べただけのものでした。

 3 3

13西川口
 

「に、西川口さん! それ…」
「おかしいだろう。おかしかったら遠慮なく笑ってくれ」
「じゃ、遠慮なく。ぷぷぷ…。ブッ。ひーっひっひっひ。あーはっはっは。」

 西川口はかわっちをハリセンで叩いてサングラスをかけ直しました。

「俺はこの目のせいで女にモテたことがなくて…。ずっと自分に自信がなかったんだ。だから、人間ですらないお前みたいなモンスターでもなんとかなるなら、それなら俺もなんとかなるかもって。それで何とかお前をモテさせてみたいって、そう思っただけなんだ。だから、俺は、本当に自分のことしか考えてない、カッコ悪いやつなんだ」
「西川口さん…」 
 かわっちは立ち上がりました。
「でも、おれっちは西川口さんのおかげでこうして変わることができたっちよ。たぶん西川口さんと出会う前のおれっちだったら、誰かのために頑張ることなんかできなかったっち」
「かわっち…」
「もう20万円貯まったっち。あと30万円くらい何とかなるっち」
「なあ」
 西川口も立ち上がりました。
「何っち?」
「人は本当に変われると思うか?」
「もちろんっち」
「…あと30万円か…」
「そうっち」
「ここに30万円ある」
「え?」
「俺の最後の財産だ」
「これでお前の300発を買う」
「西川口さん」
「俺は300発殴る。お前は300発を耐えろ。二人でやろう」
「なんで…」
「おれだって、本当は自分の力でやり遂げてみたいんだ。お前と一緒なら俺も変われる気がする。本当は、俺、窓からずっとお前を見ていていたんだ。そして、ずっとそう思っていたんだ」
「…わかったっち。じゃあおれっちを300発殴ってくれっち」
「言っておくが手加減はしないからな。おれはこう見えて学生時代はな…」
「ま、まさかボクシング部っち?」
「いや、お笑い研究会」
「なんだ」
「だが、甘く見るなよ。俺の本気のツッコミをちゃんと受け止めてみろ」
「ツッコミ? パンチじゃないっちか? そもそも、おれっちみたいな好青年にツッコミどころなんて皆無っちけど」
「なんでやねんなッ」西川口は体をひねり鋭い裏拳をかわっちに叩き込みました。

 ガッ

 裏拳はかわっちの顔面にめり込み、かわっちは後ろに一回転してうつ伏せに倒れました。

「ふう。錆び付いちゃいねえな」西川口はつぶやきました。

「な、なんでわざわざツッコミで殴るっち? 意味がわからないっち」
「悪いな。さんざん練習したコレじゃないと本気が出せないんだ」
 かわっちは思いのほかダメージを受け、なかなか立ち上がれません。
「どうした。立派なのは口だけで、体はもう限界か?」
 西川口の挑発にかわっちは体を起こしました。
「まさか。あまりにキレのないツッコミだったんで白けすぎて寝るところだったっち」
 かわっちは立ち上がり、西川口のもとへ歩いて行きました。
「さ、おれっちがケイコつけてやるっち。ツッコミが仕上がったら二人でコンビ組んでビックコミックスピリッツで漫画家デビューしようっち」
「なんでやねんなッ」

 ガッ

 また西川口の裏拳がかわっちに炸裂し、かわっちはふっとびました。

 それから、延々と西川口がかわっちを裏拳で殴り続け、かわっちは耐え続けました。

「ちょっとしおれてきたんで置いておくっちね」かわっちは頭についているサザンカの花をそっと地面に置きました。
かわっちの頭はツルツルピカピカです。
「ハゲとるがなッ」

 ガッ

「カスリもしないっち。一発くらい当ててみたらどうっち?」
「全部、当たっとるがなッ」

 ガッ

「てめえみたいなバケモノ雇うわけねえだろ!」

 かわっちは鼻血を出しながら吹っ飛んでいました。
 寿司屋に仕事をさせてほしいと頼みにいったかわっちを、大将が気味悪がって店から叩き出したのです。
 かわっちは道路に倒れ伏しました。

「二度と来るな!」

 大将の投げた包丁がかわっちの頭に刺さります。
 かわっちは座った姿勢でそれを抜き、立ち上がってよろよろと歩き出しました。


 西川口の部屋を出たかわっちは仕事を探しに川口駅近くの商店街まで歩いて来ました。
 そして、一軒一軒店をまわり仕事をさせてほしいとお願いしているのですが、モンスターに対する世間の風当たりは想像以上にきついものでした。

「お願いします。何でもするから働かせてくださいっち」
 今度は町工場の玄関先で工員相手に土下座をして頼んでみました。
 対応した工員は、昼間、社長に怒られてむしゃくしゃしていました。
「おまえみたいなカッパ風情が仕事を舐めるんじゃねえ」
「お願いしますっち。本当に一生懸命やりますっち」
「それが馬鹿にしてるっていうんだよ。俺のやってる仕事がお前なんかにできるわけねえだろ」
 かわっちは顔にケリを入れられたうえ、スパナで滅多打ちにされて工場を叩き出されました。

 かわっちは立ち上がり、よろよろと工場をあとにしました。

「ふう…ちょっと休憩するっちかね」
 かわっちは目に付いた神社の石段に腰かけ途方に暮れました。
 仕事を探し始めて数時間ですが、いろいろな人に殴られ、刺され、滅多打ちにされたのに一銭にもなっていません。

「だめだこりゃ…」かわっちは思わずつぶやきました。

 そのとき、爽やかな若い男が石段を降りてきて、かわっちの5段ほど上に腰を下ろしました。
 運動をしてきたのか少し息を切らしています。
 そしてかわっちと目が合い、ぺこりと頭を下げました。
「あ、どうもっち」かわっちも頭を下げました。
「怪我してるみたいだけど大丈夫?」男が聞きました。
 かわっちはところどころ血が出ています。しかし、それを気にしている暇はありません。
「怪我は別にどうでもいいっちけど…」
「力になれるかどうかはわからないけど話してみたら?」
 男が優しく言いました。
 かわっちはその声にうながされ話しました。
 どうしても3日間で50万円稼ぎたいこと、しかし、誰からも相手にされず傷つけられてばかりいることを。
「こんなおれっちに出来る仕事なんてないっちかね?」
「殴られ屋…」
「え?」
「あ、いや、ちょっと頭に思い浮かんだだけだから気にしないで」
「殴られ屋って何っち?」
「昔ちょっと話題になったんだけど、人に殴らせることで金をもらうんだ」
「そんな商売成り立つっち?」
「現代社会はストレスを抱えた人が多いからね。でも、もちろん本当に殴られてたら身が持たない。やるならちゃんとボクシングの技術、とくに防御のテクニックを身につけた人じゃないと」
「あ、よけること前提ってことっちね。でも、必ずよける必要はないっちよね」
「もちろん。むしろそのほうがお客さんは金を払ってくれると思うけど。でも、絶対に身が持たないよ」
「ありがとうっち」
「ちょ。ちょっとやるつもり?」
「まさかっち…」
「そうだよね」
「ところであなたはこんなところで何をやってるっち?」
「お百度」
「お百度? それは一体何っち?」
「願いを叶えるために、そこの神社に百回詣でるんだ」
「へえ? 効き目あるっち?」
「さあ…でも、このくらいしか出来ないから」
「ふうん。願いって何っち?」
「好きな人がちゃんと幸せになれますように」
「…好きな人が…」
「こんなので意味があるのかわからないけど」
「いや、絶対にその願いかなうっちよ」
「ありがとう。なんだかそんな気がしてきたよ。あ、そうだ。僕は戸塚。よろしく」
「と、と…戸塚っち?」
「うん」
 かわっちは沈黙しました。
「どうかした?」
「い、いや…また会えるっち?」
「ここに来てくれれば。毎晩お百度を踏んでるから」
「毎晩? いつからやってるっち?」
「2年間くらいかな」
「2年間っち?」
 戸塚はおだやかに笑いました。
 かわっちは戸塚のまっすぐな目を見ると自分の心が強く定まってくるのを感じました。
 そして、名乗るのも忘れて一言別れを告げ、川口駅へ歩いて行きました。

「おれっちもやってやるっち」そうつぶやきながら。



 そろそろ終電という午後11時、川口駅東口公共広場、別名キュポ・ラ広場の中央にゴザを敷いて正座するかわっちがいました。
 その脇に手書きの看板を掲げています。

[殴られ屋。思いっきり殴ってみよう。1発1,000円]

11殴られ屋


 酔ったサラリーマンがそれを見つけました。
「おい。見てみろよ。」
「殴られ屋? 面白そうだな」
「でも、1発1,000円っておかしくない?」
「何が?」
「殴られ屋って普通はよけることで成り立つんじゃない? 実際に殴らせる殴られ屋じゃ体が持たなくて商売にならないだろ」
「でも本当に殴れるなら…それこそ金払う価値あるな」
「たしかに」
 かわっちはアホなのです。
 金を稼ぐには殴られ屋しかないと考えたのですが、もちろんパンチをよける技術などありません。
 そこで発想を逆転させ、殴らせることで金をとる殴られ屋をひらくことにしました。
 自分の体がどうなるかなど考えません。
 かわっちは…アホなのです。

「…あの…」幸子はもじもじしています。

「なんでも聞くっちから」かわっちが優しく言います。

「かわっち!」幸子が思い切って言いました。

「お金貸して!」

「もちろんOK…え? あ、お金っちか? い、いくらっち?」

「50万円」

 かわっちはペットボトルのキャップを開け、お茶を口に含みました。
 そして、プーッと吹き出しました。

「お金何に使うっち?」
「あたし、2年前に事故で目が見てなくなって人生を諦めてたんだけど、最近やりたいことが出来たの」
「何っち?」
「目を治して、かわっちと歩きたい」
「え?」
「はじめてかわっちと会った日、あたし、本当は橋を渡るのが怖くて立ちすくんでたの。自分で踏み出そうって決めたのに。でも、いざ橋を渡ろうとすると怖くて歩けなくなった」
「そうだったっちか…」
「かわっち…。あなたがあたしの手を引いて橋を渡らせてくれたの」
「さっちゃん」
「でも、ずっと手を引かれたままじゃなくて」

 遠くで、2歳くらいの男の子が、両手を広げたお母さんに向かってヨチヨチと歩いているのが見えました。

「かわっちの横を並んで歩いてみたいの」

 男の子は転んでしまいました。
 お母さんは動かずに見ています。
 男の子は立ち上がり、また、たどたどしい足取りでお母さんへと歩き出しました。

「そして、いつの日か結婚したり、子供を作ったり、そんな普通の家族になりたい」
「さっちゃん…」
「あ、ゴメン。いきなりこんな話しちゃって。いきなりお金、それも何十万も貸してなんてありえないよね。あたし、何言ってるんだろう。ゴメン。やっぱり忘れて」
「…大丈夫っちよ」
「え?」
「誰だって、人は絶対に前に進めるっち。そして、幸せになれるっち」
「…かわっち」

 男の子は何回か転んでは立ち上がり、やっとの思いでお母さんのところにたどり着きました。
 お母さんは頑張った息子を強く抱きしめました。

「絶対におれっちがなんとかするっちから」
「かわっち…ありがとう…」幸子は涙をぽろぽろと流しました。
 かわっちはその涙を拭きながら西川口に土下座をして金を借りようと考えていました。


 夕方になり二人は帰ることにしました。

 西川口の車が停めてある駐車場へ行くと西川口はランボルギーニの前で膝を抱えていました。
 なんだかその体からとてつもない負のオーラが漂っています。
 明らかに危険人物です。

10西川口

 
「ちょ、ちょっとトイレに行って来るっちね」
 かわっちは西川口の手を引いてトイレの個室に入りました。
「デート上手くいったみたいだね…」
「うん…。まあ…。それより何があったっち? なんか世界の終わりみたいな顔して」
「FXで破産しちゃった…」
「え?」
「5億円くらいあった資産がなくなっちゃった」
「…5、5億?…」
「…帰ったらやけ酒付き合ってくれるよな」
「も、もちろんっち。実はおれっちもちょっと相談が…」
「何?」
「あ、後で話すっち?」

 3人は再びランボルギーニに乗り込みました。
「かわっち。すごく言いづらいんだけど、なんか、この車…悪い気を感じるの」
「そ、そうっちか。おれっちも実は同じことを感じてるっち」
 西川口の負のオーラは幸子の左半身にまで及んでいます。
「なんだか、FXに失敗して何億円も一気に損した男が一緒に乗ってるみたいな…よくわからないけどそんな感じの気持ち悪さっていうか…」
「そ、そうっちね。よくわかるっち」
 西川口の負のオーラはいつの間にか車内全体を包み込んでいました。
「この車…ゴメンね。こんなこと言って。でも…たぶん手放したほうがいいと思う…」
「ま、まあ、結果そうなるっちから…」

 車は何回か信号無視をしたものの、なんとか無事に新荒川大橋のたもとまでたどり着きました。

「じゃあ、かわっち」
「今日は楽しかったっち」
「あたしも…ありがとう」

 二人は名残おしく別れました。

 それから、西川口とエルザタワーの部屋へ移動しました。
 部屋の窓から東京の街に沈みゆく夕日を見て西川口がつぶやきます。
「いつ見ても最高の景色だな」
「そうっちね」
「ま、このマンションももう売り払わないといけないんだけど」
「そうっちね…」
「飲むぞ!」
「飲むっち(うわー。暗い酒になりそうっち)」
「ふるっふー」はとっちが鳴きました。

 二人はウィスキーを水で割ることもせずにオンザロックで飲み続けました。
 ほとんど会話はありません。
 たまに西川口がため息をつき、はとっちが「ふるっふー」と鳴くだけです。
 その状態で1時間ほど飲み続けました。

「で、相談って何?」やっと西川口がため息以外の音声を発しました。
「あ、ああ…」
 重たい沈黙が部屋に広がります。
「あの…この状況ですごく言いづらくなったっちけど…」
「はい…言っても無駄だと思うけど一応どうぞ」
「50万円ほどお借りさせていただけないっちか?」
「50万円あると思う?」
「…終了っち…」かわっちはつぶやいてトライアングルを鳴らしました。チーン。
「ふるっふー」はとっちが鳴きました。

「ただな…」西川口が言いました。
「何っち?」
「この前ここで東川口と会っただろう」
「ああ、友達の、お医者さんの」
「実は、あいつに頼んで手術の手配はしておいた」
「本当っちか?」
「ただ、金はない。50万円お前が自分で用意してくれ」
「…」
 沈黙するかわっちに西川口は言いました。
「やめたら?」
「え? どういうことっち?」
「あの子の目を治すの」
「…でも…」
「お前もわかってるだろ」
「何っち?」
「何ってあれだよ。あの子の目を治したらお前がモンスターってことがバレるだろ」
 かわっちは下を向いています。
「…そうっちね」
「あの子の目を治さずにいれば、そのまま黙って付き合うこともできるんだぞ」
 かわっちは少しの沈黙のあと顔を上げました。
 その目は何かを決意したように強い意思が宿っています。
「いつまでっちか?」
「え? いつまでって?」
「お金用意するの」
「…3日後だ」
「時間ないっちね。悪いけど仕事探しに行ってくるっち」
「お前…」
 かわっちは頷きました。
「でも、3日で50万円だぞ。無理だろ」
「約束したっちから。西川口さん。いろいろありがとうっち。さっちゃんの目を直せたら、西川口さんのこともおれがなんとかするっち」
「なんとかってお前…」
「おれっちも勝ち組の人生に飽きたっち。誰かに何かをしてみたくなったっち」そう言ってかわっちは部屋を出て行きました。
「ふるっふー」はとっちが鳴きました。

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