2015年07月

 数分後、かわっちは自分がいた荒川河川敷を見下ろしていました。

 夕日は半分以上東京のビル郡に溶け、街は群青に染まっています。

「ほえー。すごい眺めっちなー」
 西川口に連れられていったのは地上185メートルの超高層マンション、エルザタワーの高層階でした。
 3LDKの部屋はIKEAで買ったような洗練された家具や調度品で統一されています。
「ここに住んでるっちか。すごいっちな。一体何すればこんなところに住めるっち?」
「おもにFXだ」
「ほえー。セックスっちか」
「FX」
「えふえっくすっちか」
「意味わかってるのか?」
「何かいやらしいことっち?」
「…FXとは外国為替取引。俺はそのトレーダーだ。だが、誰もが俺のようになれるわけじゃない。9割以上は資金を溶かして退場する破産と隣り合わせのシビアな世界だ」
「ほえー」理解していません。
「…ところでかわっち」
「なにっち?」
「お前は本当にモテないな」
「え? え? モテ…? いや、そんなにひどくはないっちよ。今日はたまたまちょっと上手く行かなかったっちけどいつもは…」
「かわっち。ここからよく見えるだろう。お前の暮らす荒川が。俺はここから毎日お前がフラれるところを見ていたんだ」
「え?」
「OL、女子大生、女子高生、主婦、おばあさん、小学生、幼稚園生、お前は実に色々なタイプの女性にふられてきた」
「え? あ、あの…」
「そんなお前を毎日見ながら俺は決心したんだ。かわっち。俺がお前をモテさせてみせる」
「ふるっふー」はとっちが鳴きました。
「…モ、モテさせるって?」
「必要ないか?」
「本当にモテるっちか?」
「ああ、モテる」
「そうっちか。ま、どちらかと言えば、あくまでどちかを選べと言われればっちけど、まあ、お願いしてもいいっていうか…」
「…やめとくか」
「お願いしますっち」かわっちは土下座をしました。

02-2西川口の部屋

 
「でも、なんでっち?」
「そうだな。ただの親切心ってことだな」
「親切心っちか」
「イマイチ納得してない顔だな。まあ、もう少し説明をするのであれば、この通り、俺は人生の勝ち組だ。しかし、大金を手にして、いい部屋から下界を見下ろして暮らすっていうのはやってみると案外退屈でな。誰かに何かを与える側になってみたくなったんだ。その誰かがお前ってわけだ。これでどうだ」
「はあ…」
「まあ、理由なんてどうでもいいだろう。お前はモテたい。俺はお前をモテさせたい。それだけでいいはずだ」


 それから3時間。西川口のモテモテナンパ講座が開催されました。

「いいか。かわっち。お前は一日にどのくらいの女に声をかける?」
「まあ、1回…?」
「なぜだ? なぜ2回、3回といかない?」
「断られたら心が折れてしまってそれ以上は行けなくなるっちよ」
「まずはそこからだな」
「え? どういうことっち?」
「いいか。ナンパの成功はこういう式で表されるんだ。『声をかけた回数』×『成功率』。つまりだ。仮にお前のナンパ成功率が0.01パーセントだったとしよう」
「そんなに低くはないと…」
「普通に考えるとゼロと同じだな。しかし、ゼロじゃない。0.01パーセントに100をかけるといくつだ?」
「…1パーセントっち」
「そうだ。1パーセントだ。そして、1万をかけると100パーセント。つまりお前でも1万人に声をかければ必ず女の子をゲットできるわけだ」
「一万人…」
「明日から一日100人に声をかけろ」
「え? 100人っちか」
「それを100日だ」
「ほえー」
「モテたいんだろう」
「…モテたいっち…」
「そして、次はどうやって0.01を0.02や0.1に上げていくかだ」
「そもそも0.01ってところに納得いってな…」
「まずは会話を成立させることだ」
「…無視っちか…まあいいっちけど…」
「たとえばお前なら最初の会話にどんな話題を選ぶ?」
「うーん。『何か悩みがあるっちか? おれっちに話してみるっち』とか…」
「それで相手はなんて答える?」
「だいたい『え?』って…」
「だろうな。初対面のよくわからないモンスターにいきなり悩みなんて打ち明けるわけないだろう」
「そうっちかね。おれっちは受け止めるっちけど…」
「正解はYESかNOかで答えられる質問をするんだ」
「YESかNO?」
「試しに俺が質問してみるから答えてみろ『川口にお住まいですか?』」
「はいっち…」
「な。今、会話が成立しただろう」
「確かに」
「最初はこれでいいんだよ」
「次はどうするっち?」
「ずばり。5W1Hだ」
「ゴダイゴいちエッチなのはタケカワユキヒデ?」
「『ごだ』までしかあってないだろうタケカワユキヒデさんに謝れ! 確かにあの人は子沢山という側面もあるがベストファーザー賞を受賞した素晴らしい人だし、何よりミュージシャンとして輝かしい功績をあげた日本音楽会のレジェンドだ!」
「タ、タケカワユキヒデさん。すいませんっち」
「あらためて、5W1H!」
「だからそれは何っち?」
「中学校で習っただろう」
「モンスターには中学校ないっちから」
「ああそうか。ようするに「いつ」「どこ」「だれ」「なに」「なぜ」「どうする」だな。たとえば俺が質問する『川口のオススメスポットはどこですか?』さ、答えてみろ」
「この季節なら荒川河川敷がオススメっちね」
「それはどうしてですか?」
「秋の草花や虫の声を堪能できるっちよ」
「どうだ?」
「か、会話が続いてるっち」
「ふふふ。続けていくぞ。次はドア・イン・ザ・フェイス」
「ドア…アイ-ン…イン…ザ・フェイス?」
「アイーンはいらない。ドア・イン・ザ・フェイス。訳すと「ドアから顔」。セールスマンが相手に要求するときにドアに顔を突っ込んだことに由来しているらしんだが、ようするにお願いの段階を踏むわけだな」
「なるほど。それならわかるっち。いきなりおっぱいを揉ませてほしいとお願いする前に、まずは手を握りたいくらいのところから攻めるべきっちからね」
「それが実は逆なんだよ」
「逆?」
「じゃあ、仮におっぱいを揉みたいとして俺にお願いしてみろ」
「お、おっぱいを…いや、そんないきなりじゃダメっちね。手、手を握ってもいいっちか?」
「嫌だ!」
「…」
「どうだ。話が終わってしまっただろう」
「本当っち」
「正解は、到底聞いてもらえなそうな高い要求を最初にぶつけるんだ」
「え?」
「俺と結婚してくれ」
「え? そ、そんないきなり言われても」
「それが駄目なら俺の恋人になれ」
「え? こ、恋人?」
「それも無理ならお前のおっぱいくらい揉ませてくれないか」
「ま、まあそのくらいなら許してもいいっちかね…」
「どうだ?」
「は! いつの間にかおっぱいを揉ませることを許してしまったっち」
「これがドア・イン・ザ・フェイスだ。どうだこれなら女の子にいろいろなお願いをできそうだと思うだろう」
「思うっち」
「ほら、これ」
「何っち?」
「インカムだ。明日からこれで指示を出す。俺の指示通りにナンパをするんだ。俺がお前をモテモテにしてやる」
「よろしくっち」
 かわっちは希望に燃えた足取りで西川口の部屋を出るのでした。

 夜中、西川口は窓から東京の夜景を見おろしブランデーグラスを傾けていました。
 その脇でははとっちが小さい羽を小刻みに動かし浮かんでいます。
 西川口はガラスに映った自分につぶやきました。
「もし、アイツができるならオレだって」
「ふるっふー」
 はとっちは西川口に寄り添うように浮かんでおりました。

  テーブルの上に置かれたサングラスには、間接照明の淡い光が反射していました。


 翌朝10時。希望に燃えた目で新荒川大橋の入口に立つかわっちがいました。
 川の水面は秋の明るい日差しをうけサンサンと輝いています。

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 かわっちは耳にイヤホンをさし、背中の甲羅にインカムを隠し、準備は万端です。
 するとイヤホンから声が聞こえてきました。
「こちら西川口聞こえるか?」
「聞こえるっち」
「まず最初はどうする?」
「YESかNOで答えられる質問をするっち」
「よし。最初からうまくはいかないだろう。だがあきらめずに食らいついていけ」
「ラジャ」
 いよいよモテモテを目指し、かわっちのナンパが始まりました。
 新荒川大橋を女性はだいたい5分に一人くらいの割合で通りすぎていきます。
 かわっちはフラれてもフラれても女性にくらいついていく覚悟をきめて拳を強く握り締めました。


「あの…川口の人っち?」
 橋の真ん中で待っていたかわっちは東京側から歩いてきた若いOLに声をかけました。
「え?」OLは戸惑ってかわっちを見ます。そして声をかけてきたのが緑色のモンスターだとわかって戸惑いました。「え? ええ? 何?」
「川口の人っち?」かわっちはひるみません。かまわずに質問を続けます。
「…スイマセン」OLはそれだけ言って目を伏せ立ち去ろうとしました。
 しかし、かわっちはくじけません。「YESかNOかで答えてほしいっち。川口の人っち?」
 OLは無視して歩いていきます。
「川口の人っち?」かわっちは明るく言いながらOLについていきます。
 そのとき、突然OLが走りだしました。
 かわっちも逃げられるわけにはいかないと走って追いかけます「川口の人っち?」
 ついに恐怖が最高潮に達したOLは「キャー」っと叫びハンドバッグを振り回しました。

「川口の人…」メキッ!

 ハンドバックはかわっちのこめかみに食い込みました。
 なぜかハンドバックには鉄アレイが入っていたため
 遠心力によって増幅された重量がかわっちを直撃しました。

「ガハッ」

 かわっちは吐血しながら車道にふっとびました。

03OL対かわっち
 

 かわっちは荒川を見ながらため息をつきました。

「はあ~。堀北真希ちゃんみたいな美人が突然おれっちに一目惚れして結婚迫ってきたりしないっちかね~」

00-1


 荒川の水面は午後の陽を受けて薄いオレンジに輝いてます。

 かわっちは川に向かって小石を投げました。
 しかし、小石はほんの数メートル先に微かな音をたてて落ち、川の対岸、東京都北区赤羽にはまったく届きませんでした。

 かわっちがほおずえをついて寝転んでいるのは荒川河川敷の埼玉県川口市側、新荒川大橋のたもとです。

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 かわっちはいつの間にか、ここ荒川に生まれ、川口市側の河川敷に住み着くようにななりました。

 かわっちとは何なのか?
 その姿はカッパに似ています。
 しかし、カッパではありません。緑色の肌をして甲羅を背負っていますが、頭には皿でなく川口市の市の木でもあるサザンカが咲いています。

 かわっちが何なのかはかわっち自身でもよくわかっていませんでしたが、本人ははあまり気にしてませんでした。
 おそらくモンスターの一種だろうということ以上深く考えることもなく、またその必要もありませんでした。

 かわっちにとって何より大切なのは自分が何なのかということではなく、とにかく女の子にモテて、恋をしたりエッチなことをしたいということでありました。
 かわっちはドスケベでした。

 かわっちが寝転ぶ草むらの上の歩道を男子中学生たちがじゃれあいながら歩き去っていきます。
 そのすぐ後で、ランニングをするおじいちゃん、ポメラニアンを連れたおばちゃんなども通り過ぎていきました。

 のどかな秋の夕暮れです。

 そのとき、かわっちの左横5メートルほどのところに一人の女の子が腰をかけました。

 earth music & ecology か niko and...などで売っていそうなグレーのパーカーと、ふわっとした白いロングスカートを履いて、髪をナチュラルなブラウンに染めた大学生くらいのかわいい女子です。

 かわっちはその子を見て、反射的に目を反らしたものの、頭の中では激しい自問自答が始まっていた。

(な、なんでこんな近くに座るっち? いや、そこまで近くもないっちか。いや、でも近いと言えば近いっち。やっぱりこれは、おれっちと話をしたいってことっちか? 確かにその可能性は否定できないっち。そうでなければ、こんなに近くに座る必要がないっちから。なら、おれっちはどうするっち? 向こうから声をかけるのを待つっちか? でも、女の子から声をかけてくるっちかね? やっぱりおれっちが声をかけるべきっちよね。あーでも、そう考えるとなんだかドキドキするっちなー。やっぱり声かけるのやめよっかなー。いや、でも待てよ。あの子は何か悩みがあるのかもしれないっち。もしそうならおれっちがその悩みを聞いてあげないとかわいそうっち。よし、やっぱり声かけるっち。これをきっかけに恋人になれればエッチなこともさせてもらえるかもしれないっち。あー、でも何て声をかければいいっちかね?)

 長い!

 とにかくかわっちは決心して立ち上がり女の子のほうに歩いていきました。
「何を悩んでるっち?」
 優しく言って女の子の横に腰掛けます。
「え?」女の子は戸惑いながら小さく答えました。
「悩みがあるならおれっちが聞くから話してみるっち」
「え? ちょっと何?」女の子はとまどい、拒絶のニュアンスを込めて言いました。
「おれっちはかわっちっち」かわっちは気づきません。
「か、かわっちっち?」
「かわっちっち」
「かわっちっち?」
「最後のちはいらないっち。かわっち」
「かわっち?」
「かわっち。さ、何でも話してみるっち」かわっちはそう言って女の子の肩に手を触れました。
「キャッ」女の子は体を強ばらせたとき、頭上から若い男の声が聞こえました。
「何をしている!」
 スキニーパンツと首元が開いたTシャツ、そして薄手のジャケットを羽織った男はNHKの朝ドラで人気が急上昇する若手俳優のような爽やかなGUYでした。

 風が吹き抜けると、やわらかそうな髪がなびきます。

 そして、女の子は男をうるうるした瞳で見ています。

 かわっちは狼狽して言いました。
「え? おれっちっち? おれっちはこの子が悩んでるふうだったから話を聞こうとしていたところっち」
「嫌がってるだろ」
「え? 嫌がってないっちよ。ねえ」
「ジュンくん」女の子は立ち上がり男の胸に飛び込み泣き出しました。
「え。なんで泣くっち。おれっち何もしてないっちよね」
 男は怒りのオーラをまとい、かわっちを睨みつけています。
「ちょっとこの人何か誤解しているみたいだから何か言ってっち」
「いい加減にしないか」男はかわっちを押しました。
 かわっちはバランスを崩し草の斜面をごろごろと後ろ向きに転がり落ちていきます。
 10メートルほど転がり続け一番下でやっと止まったかわっちはひっくり返り肛門丸見えの状態で伸びてしまいました。

30
 

 そこにタイミング悪くマウンテンバイクを練習中の人がやってきました。
 マウンテンバイクに乗った男はかわっちを轢きそうになったものの、発達した反射神経でかわっちを避けました。
 しかし、そのせいで横の水たまりを突っ切ることになり、盛大に跳ねあがった泥水はモロにかわっちにかかりました。
 かわっちはずぶ濡れのまっ茶色です。

 若い男女はかわっちの存在を忘れ、盛り上がっています。
「クスンクスン。ジュンくん。怖かったよ」
「ゴメンなお前のこと一人にして。もうどこへも行かないから。ずっと一緒にいよう」
「約束だよ」
「約束する」

 かわっちは肛門をさらし、寝っ転がった状態で空を見ていました。その目に少し涙をためて。
 男女が寄り添いながら去っていってもかわっちはそのまま動きませんでした。


 そのときゆっくりとした、しかし大きな拍手の音が近づいてきました。
 同時に太い男の声が聞こえました。

「すばらしいフラれっぷりだ」

 かわっちがひっくり返ったまま声のほうを見ると、黒いニットにサングラスの綾野剛みたいな男がポケットに手を入れて草の斜面を下りてきます。
 その男の隣には白い鳩のような生物が小さな羽をパタパタさせながら浮かんでいます。


01-2西川口とはとっち



「おれは西川口」男はかわっちの傍まで来て、見下ろしながら言いました。
「こっちは鳩ケ谷で出会ったはとっち」
「ふるっふー」不思議な生物が鳴きました。
「西川口…さんとはとっち」
「そうだ」
「ふるっふー」
「おれは…かわっちっち…。…おれっちに何か用っちか?」
「お前はモテたいか?」
「え?」
「お前はモテたいか?」
「どういうことっち?」
「ただ素直に答えるんだ。モテたいか?」
 西川口はサングラスごしにかわっちを見つめています。
 そのまっすぐな視線にうながされるようにかわっちは答えました。
「まあ…どちらかと言えば…モ、モテたいっち…」
「その望みおれが叶えてやる。着いてこい」
 そう言って西川口は草の斜面を登っていきます。
 半分ほど上ったところで振り返りながら言いました。
「来いよ。モテたいんだろう」
「ふるっふー」はとっちが鳴きました。

 風に舞うコンビニの白いビニール袋が、人間とモンスターの間を通り過ぎていきました。

 数百メートル離れた陸橋では京浜東北線が東京から埼玉へと荒川を渡っておりました。

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