2015年08月

 一ヶ月が経ちました。
 11月半ばの風は肌寒く、人々はブルゾンを羽織ったり、ムートンブーツを履いたりしています。

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 かわっちと西川口、はとっちの3人はビルの影からこっそりと川口駅東口公共広場、別名キュポ・ラ広場のベンチに座る幸子を見ていました。
 幸子は医者の東川口が手を回したおかげで無事に手術を受け、視力を取り戻していました。

「さ、行ってこい」西川口がかわっちを促します。
「ふるっふー」はとっちが鳴きました。
 かわっちは黙って幸子を見ています。
「どうしたんだ? かわっち。約束の時間はとっくに過ぎてるんだぞ。あんまり待たせたら可哀想だろ」
「うん」
「どうしたんだよ」
「いや、目が治って本当によかったっちなと思って」
「お前が治したんだよ」
「そうっちね」
「ふるっふー」

 そのとき、幸子に一人の男が近づいて行きました。
 レギュラーフィットのジーンズにBEAMSで買ってみたいなパーカーをあわせ、ニューバランスのグレーのスニーカーを履いたその男は、かわっちが神社で出会った戸塚でした。

「…さっちゃん…」戸塚が幸子に声をかけました。
「…と、戸塚くん」幸子が驚いて見ます。
「さっちゃん。本当に目、治ったんだね。よかった」
「なんで?」
「ある人からここに来れば君に会えるって聞いて」
「え? ある人って…か、かわっち?」
「名前は知らない」
「どんな人?」
「人っていうか。緑色のモンスター」

 二人のやり取りを見ながら西川口はかわっちに問い詰めていました。
「おい、かわっち。一体どういうことだよ」
「これでいいっちよ。彼は戸塚くん。さっちゃんの元カレっち。2年間、さっちゃんのためを思ってお百度を踏んでいたらしいっち」
「…確かにいいやつなのかもしれないけど、お前の気持ちは…」
「人間の女の子とおれっちみたいなモンスターが結ばれるわけないっちから」
「本当にそれでいいのか?」
「さ、行くっち。お笑いオーディションに間に合わなくなるっちよ」
「本当にいいんだな」
「バス乗り場はあっちっちね」
「ふるっふー」
 かわっちはバス乗り場へ歩き出しました。西川口と、はとっちも黙ってついていきました。

 幸子は混乱していました。
「緑色のモンスター? 誰なの? そのモンスターがかわっちのこと知ってるの?」
「いや。俺にもさっぱりわからないんだ。ちょっとしたことで知り合って、今日、ここに来るように言われて」

 かわっちたちは赤羽行きのバス、その後部座席に乗り込みました。
「出発します。閉まるドアにご注意ください」
 運転手の声のあとにドアがプシュと閉まり、バスは動き出しました。
 川口駅がだんだん遠ざかっていきます。

「その緑色のモンスターはどこにいるの?」
「いや、それも知らないんだ」
「どこで会ったの?」
「あ…」
「どうしたの?」
「いた」
 戸塚は駅から遠ざかっていくバスの後部座席にかわっちの後ろ姿を見つけました。
「あれがそうだ」
 瞬間。幸子は立ち上がり、走ってバスを追いかけていました。
 そのあとを戸塚も追いかけます。

「おれっち、やっぱり付き合うなら堀北真希ちゃんクラスの美人がいいっちな。あと、ボディはスレンダーもいいっちけど藤原紀香さんみたいなグラマラスが理想っちよ」
「強がるなよ」
「ふるっふー」
「うう…」
「泣くなよ。それはそれで鬱陶しい」
「ふるっふー」
 バスの後部座席ではかわっちの失恋残念会が始まっていました。
「ま、でも、どうあれ一人の女の子を幸せにしたんだ。よかったんじゃないか」
「そうっちね」
「ふるっふー」

 バスを追いかける幸子は転んでしまいました。
 それでもすぐに立ち上がりバスを追いかけます。
 転んでは立ち上がり、転んでは立ち上がり、擦り傷や打ち身を作りながらも幸子は諦めずにバスを追いかけます。

 バスを追いかけてくる幸子に最初に気がついたのははとっちでした。
「ふるっふー」
「はとっちもそう思うっちか?」
「ふるっふー」
「そうっちよね」
「ふるっふー」
「うんうん。その通りっち」
「そうじゃなくて、さっちゃんが追ってきてるぞ」はとっちがしゃべりました。
「え?」かわっちは振り向きました。
 さっちゃんはボロボロになりながら、血を流しながらバスを追いかけています。
 そのあとを汗だくの戸塚もついてきています。
「運転手さん止めてくださいっち」かわっちが叫びました。
「停留所までもうしばらくお待ちください」運転手は業務的に答えました。
「待てないっち」瞬間。かわっちは走るバスの窓から飛び降りました。
 そして、着地に失敗して歩道をゴロゴロと転がり、血まみれのボロボロになりました。

 それから10秒後、バスは10メートル先の停留所に停ました。
 西川口とはとっちはプシュと開いたドアから普通に降りてきました。

 やっとかわっちに追いついた幸子ですが息が上がってしゃべれません。
 両手をひざにつき、肩で荒い息を整えています。
 そして、血まみれのかわっちを見ました。
 
「ハアハア…あなた…ハアハア…かわっちのこと知ってるの?」

 かわっちは幸子を見ました。
 初めて出会った日、一緒に新荒川大橋を渡った日々、グリーンセンターのデート。楽しい思い出が頭をよぎります。

「お…お…」

(そして、いつの日か結婚したり、子供を作ったり、そんな普通の家族になりたい)
 かわっちはグリーンセンターで幸子が言った言葉を思い出していました。

 その目は何かの決意に満ちていました。

「おいは…かわっちの友達の…か、か、カッパ川…コジロウっち」

「何故九州弁???」つぶやいた戸塚に西川口が「しっ」と黙るように合図しました。

「そう? コジロウくん。今日かわっちと会う約束してたんだけど。すっぽかされたの。あなた何か知らない?」
「あ、そうそう。おい、伝言頼まれてたばってんがうっかりして伝えるの忘れとったばい。あいたー」
「伝言って何?」
「かわっちは急な仕事で海外で暮らさんばいかんくなったもんね。それで、あなたに会えんごつなったったい。サヨナラって言いよったばい」
「…そう…。それだけ?」
「それから、心からあなたの幸せを祈っとるって言いよったばい」
「あたし。かわっちのことが好きだったの」
「…そ、そげんね。あの男も隅におけんね。まあ、あいつはプレイボーイだけん、あんな男は忘れてその一緒にいる彼と幸せになるったい。よか男たい」
「かわっち。プレイボーイだったの? そうは思えなかったけど」
「じゃ、おいはこれで行くけんが。伝言ば忘れてほんなこつ悪かったね」
 かわっちはそう言って歩き出しました。

 その後ろ姿に幸子が言いました。
「かわっち。あなたが本当はかわっちなんでしょ」

 かわっちは立ち止まりました。
 そして振り返って言いました。

15幸子とかわっち

 
「まさか。かわっちはおいなんかと違ってブラッド・ピットみたいな顔でEXILEみたいな髪型の好青年ばい。じゃあ、本当にこれで。名も知らん女のひと」
「幸子。幸子よ。あだ名はさっちゃん」
「…さようなら。さっちゃん」かわっちは最後につぶやきました。そして、振り返らずに歩いて行きました。
 その隣を西川口とはとっちが寄り添いながら歩いていきます。


 かわっちは幸子と初めて出会った新荒川大橋を歩いて渡っています。

 車道では今日も、北から南へ、南から北へと車が激しく行き交っています。

 歩道では埼玉から東京へ行く人、東京から埼玉へ来る人、それぞれがまばらに歩いています。  

 いつもの風景です。
 
 誰かがクラクションを鳴らしたとき、新荒川大橋の真ん中ででかわっちは上を見ました。

 見上げた空は高く、どこまでも澄みきって、小さなとんびの影がゆっくりと円を描いていたのでした。

 そして、2時間が過ぎました。

 200発、休みなく裏拳を繰り出した西川口も、それを受け続けたかわっちも満身創痍です。
 今にも倒れそうです。
 それでも二人は殴る側と殴られる側を続けています。

「ハアハア…な、なんでや…ねんな…」ガッ
「ゲフッ。も、もういっちょう!」

「ハアハア…なんでや…ね…ん…」そう言って、ついに西川口が膝をつきました。
「ハアハア…」かわっちも西川口につられるように膝をつきました。
「ふるっふー」はとっちが鳴きました。
「ハアハア…大丈夫だ。はとっち」
「ふるっふー」
「お願いだ。やらせてくれ。俺だって、俺だって、本当はちゃんと出来るんだ」西川口は涙を流しています。
 よろよろとかわっちが立ち上がりました。
「泣いている暇があるなら…早く…終わらせるっち…それとも、西川口さんは口ではカッコいいこと言っても根性なしのボンボン気質だから本当はもうこの辺で適当に終わらせたいと思ってるっちね」
「何?」
「悔しいっちか? 悔しいならここにいるツッコミ待ちのモンスターにちゃんとツッコんでみたらどうっちか」
 かわっちは舌を鼻につけ、目は上を向き、片足立ちで、顔の横で両手の親指と小指だけ立てて精一杯ひょうきんなポーズをしています。

14西川口つっこみ

 
「ちくしょー。ちくしょー」西川口は震える自分の足を殴りつけ気力で立ち上がりました。
「ふるっふー」はとっちが鳴きました。
「大丈夫だ。はとっち。ちゃんと見ていてくれ」
「ふるっふー」
「な…なんでやねんなッ」
「もういっちょう」
「なんでやねんなッ」
「もういっちょう」
「ふるっふー」
 かわっちも西川口もはとっちも涙を流していました。

「な…ん…でや…ねん…な…」
「ハアハア…もう…い…っちょう…」
「298回」数をカウントしているのははとっちです。(しゃべれるんかいッ??? 西川口、ツッコめよ!)
「なん…で…や…ねん…な」
「ハアハア…ハアハア…もう…い…っちょう…」
「299回。ラスト一回!」はとっちが言いました。
「ハアハア…な…な…な…なん…」西川口は膝をつきました。
「ふるっふー」はとっちが鳴きました。
「だい…だいじょう…ぶだ…はとっち」西川口が立ち上がりました。

 西川口はかわっちを見ました。

 かわっちは立ったまますでに気を失っていました。

 禿げ上がり、顔を腫らし、血を流し、白目をむいた状態で。

 人間たちに恐れられ、嫌われ、傷つけられてきたのに、誰も恨まず、それどころか人を幸せにするためにこんなにボロボロになっています。 

 西川口は優しくかわっちを見て言いました。

「なんでやねんな…」

 そして、かわっちを優しく叩き、そのまま倒れ込みました。

 そのとき、ビルの影から差し込んだ朝日が3人を優しく照らしました。

 やわらかな朝日に白く染まるかわっちを見ながら西川口はつぶやきました。

「はとっち。俺、全部なくしちゃったけど、いや、本当は最初から何も持ってなかったんだな。でも今は、お前と…かわっちがいる。俺、自分の力でやってみるよ」
「ふるっふー」朝の静寂の中、はとっちの声が優しく響きました。

「いらっしゃいませっち」かわっちは、寄ってきたサラリーマン二人組に言いました。
「本当に殴っていいの?」
「もちろんっち」
「じゃあ、一発いい?」そう言って背の高いほうのサラリーマンが、かわっちに1,000円を渡しました。
「ありがとうございますっち」
「思いっきりいっていいの?」
「も、もちろんっち」
「俺、強いよ」
「だ、大丈夫っち。おれっち不死身っちから」
「じゃ」
 サラリーマンは拳を軽く握り、パンチを出す真似を何回かしてタイミングをはかった後、大きな右ストレートをかわっちに叩き込みました。

 ガッ

12殴られる


 サラリーマンのパンチはかわっちにメリ込み、さらにそのまま振り抜かれた拳の勢いでかわっちはふっとび、2回後ろに転がって止まりました。

「き、気持ちいい…」サラリーマンがパンチを振り抜いた姿勢のまま震えています。

 かわっちも倒れたまま震えています。
 しかし、かわっちはすぐに立ち上がりサラリーマンまで歩いて行きました。
「まいどありっち」
「え? 効いてないの?」
「おれっち不死身っちから」
「もう一回やっていい?」
「もちろんっち」

 ガッ

「まいどありっち」

 ガッ

「まいどありっち」

 何度殴られてもかわっちは立ち上がります。
 五発殴ったところで男は息を切らしました。

「ありがとう。たまってたストレスが吹き飛んだよ」
「こっちこそ。ご利用ありがとうございますっち」
 かわっちは笑顔で言います。
「でも、あれだけ殴られて体本当に大丈夫なの?」
「もちろんっち。モンスターにはあのくらい何でもないっち」そう言いながら、本当はかわっちの顔や体はアザまみれです。
「そっちのお兄さんはどうっち? スッキリするっちよ」
「お前もやれよ」
「ええ? じゃあ、やってみようかな」
 もう一人の男はかわっちを三発殴りました。

「一発だけのつもりだったけど、三発もやっちゃった。たしかにこれサイコーだわ。かわっちのおかげで明日からも頑張れそうな気がするよ」
「ありがとうござますっち」
 かわっちは深々とお辞儀をして二人のサラリーマンを見送りました。

 いつの間にかかわっちの周りに人だかりができています。

「一発1,000円っち。ストレス解消に、明日の活力に、殴られ屋かわっちを殴ってみませんかっち?」

「じゃあ、かわっち、一発」
「おれも一発」
「楽しそうだな。おれも」

 終電まで2時間弱。かわっちの開いた殴られ屋は意外な繁盛を見せたのでした。



 ボゴオ

「まいどありっち」
「ありがとう。かわっち」

 ゴフッ

「まいどありっち」
「サンキュー! かわっち」

 ドゴオ

「まいどありっち」
「明日も頑張るよ。かわっち」


 それからかわっちは何発も何発も殴られ続けました。
 そして、0時56分。川口駅発京浜東北線の最終電車が行き過ぎると、広場から人がいなくなりました。

 電車の出発する音を聞きながらかわっちは膝をつきました。
 そして、そのまま地面に倒れふし、血を吐きました。
「さ、さすがにきつかったっち。ケホケホ」

 11時から約2時間。かわっちは合計199回、途切れることなく殴られ続けたのでした。


「かわっち…」
 地面に伸びているかわっちに静かに近づいてきたのは西川口でした。
「お前、こんなところで何をやってるんだ」
「お金を稼がないといけないから、殴られ屋をはじめたっちよ」
「そうか…。でも、もうやめとけ。いくらお前がバケモノでも死んじまうぞ」
「なに…。こんなの軽いっちよ。おれっち不死身っちから。ゲホオ」かわっちは血を吐きました。
「ほら。こんなになるまで。一体いくら稼いだんだ?」
 西川口はかわっちの稼いだ金を数えました。
「19万9,000円…。お前、こんなに…」
「なんだ。まだそれだけっちか。あと倍以上は稼がないといけないっちね」
「本当にやめとけ! 自分がどうなってもいいのか!」
「さ、休憩終わりっち」かわっちは震える足で立ち上がりました。そして叫びました。
「ストレス解消に、明日の活力に、殴られ屋かわっちを殴ってみませんかっち?」
「もうやめろ」
「ストレス解消に、明日の活力に…」
「もうやめろって」
 そのとき、真面目そうな若い男がやってきました。
「殴られ屋ってここですか?」
「あ、お客さんっち? おれっちが殴られ屋っち。やってみるっち」
「あ、ぜひ。お願いします」

「部長の…」男は振りかぶりました。その拳はオーラで少し光っています。
「バカヤロー」男は今日一のダイナマイトパンチをかわっちに叩き込みました。

 かわっちは転がりながら15メートル吹っ飛びました。

「だ、大丈夫ですか?」男がかわっちに駆け寄りました。
「だ、大丈夫っちけど。すごい力っちね…ゲホオ…」男はかわっちに肩を貸して立たせました。
「すいません。世界を救うために子供のころから修行してたんです。でも、こんな平和な世の中じゃこの力を生かすこともできなくて、普通に働くしかなくて」
「ストレス溜まってたっちね」
「ええ。おかげでスッキリしました。明日からまた頑張れそうです」
「それは何よりっち」
「じゃあ、本当にありがとうございました」男はかわっちに1,000円を渡して去って行きました。

 かわっちは地面に腰をおろし、そのまま寝転がって夜空を見上げました。
 西川口もかわっちの隣に腰掛けました。
「いくらあの子のためとはいえ、なんでここまで…」
 かわっちはしばらく空を見上げていました。
「西川口さんと同じっち」
「え?」
「西川口さんは、何のトクもないのにおれっちに声をかけてくれたっち。ナンパの仕方を教えてくれたっち。デートに協力してくれたっち」
「いや…」
「おれっちだって、誰かのために何かをしてみたいっち」
「かわっち…」
 西川口は顔を背けました。
「違うんだよ」
「何が違うっち」
「これを見てくれ」
西川口はサングラスを外しました。
街明かりに照らされた西川口の目は数字の3を二つ並べただけのものでした。

 3 3

13西川口
 

「に、西川口さん! それ…」
「おかしいだろう。おかしかったら遠慮なく笑ってくれ」
「じゃ、遠慮なく。ぷぷぷ…。ブッ。ひーっひっひっひ。あーはっはっは。」

 西川口はかわっちをハリセンで叩いてサングラスをかけ直しました。

「俺はこの目のせいで女にモテたことがなくて…。ずっと自分に自信がなかったんだ。だから、人間ですらないお前みたいなモンスターでもなんとかなるなら、それなら俺もなんとかなるかもって。それで何とかお前をモテさせてみたいって、そう思っただけなんだ。だから、俺は、本当に自分のことしか考えてない、カッコ悪いやつなんだ」
「西川口さん…」 
 かわっちは立ち上がりました。
「でも、おれっちは西川口さんのおかげでこうして変わることができたっちよ。たぶん西川口さんと出会う前のおれっちだったら、誰かのために頑張ることなんかできなかったっち」
「かわっち…」
「もう20万円貯まったっち。あと30万円くらい何とかなるっち」
「なあ」
 西川口も立ち上がりました。
「何っち?」
「人は本当に変われると思うか?」
「もちろんっち」
「…あと30万円か…」
「そうっち」
「ここに30万円ある」
「え?」
「俺の最後の財産だ」
「これでお前の300発を買う」
「西川口さん」
「俺は300発殴る。お前は300発を耐えろ。二人でやろう」
「なんで…」
「おれだって、本当は自分の力でやり遂げてみたいんだ。お前と一緒なら俺も変われる気がする。本当は、俺、窓からずっとお前を見ていていたんだ。そして、ずっとそう思っていたんだ」
「…わかったっち。じゃあおれっちを300発殴ってくれっち」
「言っておくが手加減はしないからな。おれはこう見えて学生時代はな…」
「ま、まさかボクシング部っち?」
「いや、お笑い研究会」
「なんだ」
「だが、甘く見るなよ。俺の本気のツッコミをちゃんと受け止めてみろ」
「ツッコミ? パンチじゃないっちか? そもそも、おれっちみたいな好青年にツッコミどころなんて皆無っちけど」
「なんでやねんなッ」西川口は体をひねり鋭い裏拳をかわっちに叩き込みました。

 ガッ

 裏拳はかわっちの顔面にめり込み、かわっちは後ろに一回転してうつ伏せに倒れました。

「ふう。錆び付いちゃいねえな」西川口はつぶやきました。

「な、なんでわざわざツッコミで殴るっち? 意味がわからないっち」
「悪いな。さんざん練習したコレじゃないと本気が出せないんだ」
 かわっちは思いのほかダメージを受け、なかなか立ち上がれません。
「どうした。立派なのは口だけで、体はもう限界か?」
 西川口の挑発にかわっちは体を起こしました。
「まさか。あまりにキレのないツッコミだったんで白けすぎて寝るところだったっち」
 かわっちは立ち上がり、西川口のもとへ歩いて行きました。
「さ、おれっちがケイコつけてやるっち。ツッコミが仕上がったら二人でコンビ組んでビックコミックスピリッツで漫画家デビューしようっち」
「なんでやねんなッ」

 ガッ

 また西川口の裏拳がかわっちに炸裂し、かわっちはふっとびました。

 それから、延々と西川口がかわっちを裏拳で殴り続け、かわっちは耐え続けました。

「ちょっとしおれてきたんで置いておくっちね」かわっちは頭についているサザンカの花をそっと地面に置きました。
かわっちの頭はツルツルピカピカです。
「ハゲとるがなッ」

 ガッ

「カスリもしないっち。一発くらい当ててみたらどうっち?」
「全部、当たっとるがなッ」

 ガッ

「てめえみたいなバケモノ雇うわけねえだろ!」

 かわっちは鼻血を出しながら吹っ飛んでいました。
 寿司屋に仕事をさせてほしいと頼みにいったかわっちを、大将が気味悪がって店から叩き出したのです。
 かわっちは道路に倒れ伏しました。

「二度と来るな!」

 大将の投げた包丁がかわっちの頭に刺さります。
 かわっちは座った姿勢でそれを抜き、立ち上がってよろよろと歩き出しました。


 西川口の部屋を出たかわっちは仕事を探しに川口駅近くの商店街まで歩いて来ました。
 そして、一軒一軒店をまわり仕事をさせてほしいとお願いしているのですが、モンスターに対する世間の風当たりは想像以上にきついものでした。

「お願いします。何でもするから働かせてくださいっち」
 今度は町工場の玄関先で工員相手に土下座をして頼んでみました。
 対応した工員は、昼間、社長に怒られてむしゃくしゃしていました。
「おまえみたいなカッパ風情が仕事を舐めるんじゃねえ」
「お願いしますっち。本当に一生懸命やりますっち」
「それが馬鹿にしてるっていうんだよ。俺のやってる仕事がお前なんかにできるわけねえだろ」
 かわっちは顔にケリを入れられたうえ、スパナで滅多打ちにされて工場を叩き出されました。

 かわっちは立ち上がり、よろよろと工場をあとにしました。

「ふう…ちょっと休憩するっちかね」
 かわっちは目に付いた神社の石段に腰かけ途方に暮れました。
 仕事を探し始めて数時間ですが、いろいろな人に殴られ、刺され、滅多打ちにされたのに一銭にもなっていません。

「だめだこりゃ…」かわっちは思わずつぶやきました。

 そのとき、爽やかな若い男が石段を降りてきて、かわっちの5段ほど上に腰を下ろしました。
 運動をしてきたのか少し息を切らしています。
 そしてかわっちと目が合い、ぺこりと頭を下げました。
「あ、どうもっち」かわっちも頭を下げました。
「怪我してるみたいだけど大丈夫?」男が聞きました。
 かわっちはところどころ血が出ています。しかし、それを気にしている暇はありません。
「怪我は別にどうでもいいっちけど…」
「力になれるかどうかはわからないけど話してみたら?」
 男が優しく言いました。
 かわっちはその声にうながされ話しました。
 どうしても3日間で50万円稼ぎたいこと、しかし、誰からも相手にされず傷つけられてばかりいることを。
「こんなおれっちに出来る仕事なんてないっちかね?」
「殴られ屋…」
「え?」
「あ、いや、ちょっと頭に思い浮かんだだけだから気にしないで」
「殴られ屋って何っち?」
「昔ちょっと話題になったんだけど、人に殴らせることで金をもらうんだ」
「そんな商売成り立つっち?」
「現代社会はストレスを抱えた人が多いからね。でも、もちろん本当に殴られてたら身が持たない。やるならちゃんとボクシングの技術、とくに防御のテクニックを身につけた人じゃないと」
「あ、よけること前提ってことっちね。でも、必ずよける必要はないっちよね」
「もちろん。むしろそのほうがお客さんは金を払ってくれると思うけど。でも、絶対に身が持たないよ」
「ありがとうっち」
「ちょ。ちょっとやるつもり?」
「まさかっち…」
「そうだよね」
「ところであなたはこんなところで何をやってるっち?」
「お百度」
「お百度? それは一体何っち?」
「願いを叶えるために、そこの神社に百回詣でるんだ」
「へえ? 効き目あるっち?」
「さあ…でも、このくらいしか出来ないから」
「ふうん。願いって何っち?」
「好きな人がちゃんと幸せになれますように」
「…好きな人が…」
「こんなので意味があるのかわからないけど」
「いや、絶対にその願いかなうっちよ」
「ありがとう。なんだかそんな気がしてきたよ。あ、そうだ。僕は戸塚。よろしく」
「と、と…戸塚っち?」
「うん」
 かわっちは沈黙しました。
「どうかした?」
「い、いや…また会えるっち?」
「ここに来てくれれば。毎晩お百度を踏んでるから」
「毎晩? いつからやってるっち?」
「2年間くらいかな」
「2年間っち?」
 戸塚はおだやかに笑いました。
 かわっちは戸塚のまっすぐな目を見ると自分の心が強く定まってくるのを感じました。
 そして、名乗るのも忘れて一言別れを告げ、川口駅へ歩いて行きました。

「おれっちもやってやるっち」そうつぶやきながら。



 そろそろ終電という午後11時、川口駅東口公共広場、別名キュポ・ラ広場の中央にゴザを敷いて正座するかわっちがいました。
 その脇に手書きの看板を掲げています。

[殴られ屋。思いっきり殴ってみよう。1発1,000円]

11殴られ屋


 酔ったサラリーマンがそれを見つけました。
「おい。見てみろよ。」
「殴られ屋? 面白そうだな」
「でも、1発1,000円っておかしくない?」
「何が?」
「殴られ屋って普通はよけることで成り立つんじゃない? 実際に殴らせる殴られ屋じゃ体が持たなくて商売にならないだろ」
「でも本当に殴れるなら…それこそ金払う価値あるな」
「たしかに」
 かわっちはアホなのです。
 金を稼ぐには殴られ屋しかないと考えたのですが、もちろんパンチをよける技術などありません。
 そこで発想を逆転させ、殴らせることで金をとる殴られ屋をひらくことにしました。
 自分の体がどうなるかなど考えません。
 かわっちは…アホなのです。

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