「ちょ、ちょっとかわっち…」幸子は柵にしがみつきました。
 しかし、目の見えない幸子にはかわっちの安否はわかりません。
「かわっちぃぃぃ」幸子は叫びました。
 しかし、かわっちの声は聞こえません。
 幸子はどうしていいかわからず柵に額をつけて泣きました。
「かわっち。かわっち…」幸子はそのまま泣き続けました。
 3分ほどたって、ぺちゃぺちゃという濡れた足音が近づいてきて幸子の前で止まりました。
 荒い息遣いもします。

「これは大切なものっち。こんなふうに捨てたらダメっちよ」
 荒川から幸子の杖を拾ってきたかわっちでした。
 かわっちはうずくまってる幸子を立たせて杖を手に持たせました。
「…濡れてる」
「そうっちね」
「た、大切な杖なのよ」
「わかってるっち」
「濡れてるじゃないの」
「え?」
「なんで濡れてるのよ」
「え? それはさっちゃんが…」
「あたしのせいなの?」
「いや、ごめんっち」
「…」幸子は涙を流しています。
「それだけ?」
「いや、あの、この度かわっちは幸子さんの大切な杖を濡らすという失態をおかしてしまったことをここに深く謝罪させていただきます。今後このようなことのないようより一層注意して参りたいと…」
「そんな言葉じゃないの」
「…じゃあ、どうすればいいっちか?」
「明日は休みなの。あたしをデートに連れていきなさい」
「え?」
「明日も朝9時、いつもの場所で待ってなさい」
 幸子はそう言って去って行きました。
 橋の真ん中に取り残されたかわっちは冷たい秋風にくしゃみをするのでした。

「まさかあの女が自分からデートに誘ってくるとはな」
 西川口が橋のうえで佇むかわっちに近づいて来ました。
「デート?」かわっちが言いました。
「ああ、デートだ。そう言われたろ」
 西川口に言われ、かわっちは表情を変えることなくタバコを取り出しました。
 そして、100円ライターで火を付けようとするのですが指先が震えて全く火がつきません。
 火をつけるのに失敗する音がカチッ、カチッっと何度も響き渡ります。
「おおお、おれっちがデートにささささ誘われた?」声も震えています。
「ああ」
 かわっちは全身がガタガタと震えています。
「落ち着けかわっち」
「おおお、落ち着いてるっち…」落ち着いてません。
「お前、デートしたことないのか?」
「あああああるっちよ」ありません。
 かわっちはやっと思いで火をつけたタバコを、気ぜわしくふかすものの指先の震えはいっこうに収まりませんでした。
「しょうがねえな。俺が全面的に協力してやる。とりあえず来い」
「ふるっふー」はとっちが鳴きました。

 かわっちたちが西川口の部屋に入ると東幹久みたいな感じの、知らない男がいました。
「こんにちは。君は…かわっちか」男は気さくに話しかけてきました。
「そうっち。かわっちっち。あなたは?」
「そいつは東川口。俺のともだちだ」西川口が紹介しました。
「どうもっち。西川口さんと東川口さんっちか。面白いっちね」
「そうだな。東川口はこう見えて医者なんだ。それで俺はこのとおり資産家。孤高のトレーダー」
「へえ」
「じゃ、ま、そういうことで」東川口と紹介された男は席を立ちました。
「もう帰るっち?」
「うん。じゃ」
「じゃ、よろしく」西川口が言いながら玄関に送りました。
「ふるっふー」はとっちが鳴きました。

「あの人何しに来てたっち?」
「ちょっとな。相談があって」
 かわっちはリビングにあるソファに腰掛けてあらためて部屋を見回しました。
 部屋の調度品はどれもかわっちにはよくわかりませんが高そうなものばかりです。
「いつ見てもすごいっちね」
「ああ、親から多額の遺産をもらったからな」
「え?」
「ん?」
「なんか裸一貫でFXでここまでのし上がったみたいなイメージで語ってなかったっち?」
「ああ、職業と言われたらFXのトレーダーだけど、あれ実はあんまり勝てないからな」
「え?」
「というかまあ結構負けてばっかり? ま、いつか取り返すからいいんだよ。取引所に貯金をしてるってわけだ。ちょっと引き出しにくい貯金だけど」
「うわ。なんか…知るほどにカッコ悪いっちね」
「勝負の世界に生きてる男に向かってカッコ悪いとはなんだ」
「だってなんか…」
「そんな態度のやつにはデートの協力してやらねえぞ」
「カッコイイっち。憧れるっち」
「ふるっふー」

「でだ。まずはデートの会話。これが重要だ。一番大切なのはなんだと思う?」
「全くわからないっち」
「ほめること! 女はとにかくほめてほめてほめまくって気持ちよくさせるんだ」
「き、気持ちよくっちか?」
「素敵な服だね。着る人が着ると違うなとか外見、内面、とにかくほめるところを探してほめまくれ」
「わ、わかったっち」
「あとはどこに行くかだが」
「それなら考えがあるっち」
「どこだ?」
「ホテ…」
 西川口はハリセンでかわっちをはたきました。
「グリーンセンターがいいと思うっちよ」
 グリーンセンターとは川口市が運営する四季折々の花やみどり、紅葉などが楽しめる広大な公園です。
「なるほど。この季節、紅葉の中を落ち着いて散歩したりするのは悪くないかも知れないな。目が見えなくてもそれなりに楽しめそうだな。お前にしてはいい案だ」
「じゃあ、これでバッチリっちね」
「いやひとつでっかい問題があるぞ」
「何っち?」
「足だ」
「足っち?」
「グリーンセンターまでどうやっていくんだ」
「足で行くっちよ」
「お前はアホか」
「え?」
「歩いて何時間かかると思ってるんだ」
「2時間くらいっちかね?」
「目的地まで2時間も歩いていくデートがあるか。途中で心折れるわ! しかも彼女は目が見えないんだぞ」
「じゃあ、何で行くっち?」
「車だよ。車。しょうがないから俺のランボルギーニを特別に貸してやるから」
「やったっち」
「ところでお前免許は」そう言って西川口はかわっちを見ました。
 緑色のモンスターは、はとっちとアホ面を下げて阿波踊りを踊っています。
「持ってるわけないよな」はしゃぐかわっちを見ながら西川口は頭を抱えるのでした。

 朝になりました。
 荒川の橋の上ではかわっちが幸子を待っています。
 しかし、今日のかわっちは様子がとてつもなく変です。
 どう変なのか? 
 西川口と一緒なのですが、かわっちは西川口におんぶひもでおんぶされてまるで大きな赤ん坊です。
「まったくなんでおれがこんなこと…」
「恩に着るっち」
「はあ…」
「しゃべったらダメっちからね」
 車の運転が出来ないかわっちはデート中、西川口と合体し、運転させることで目の見えない幸子をごまかそうという最低な作戦でした。 

08おんぶ